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COLDSLEEP

まどるdが趣味でかいた小説をだらしなく垂れ流す場所


In 06 2011

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ニューロマンサー

 前々回の記事にてマトリックスの話を記事にした時、ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』という単語を出したと思います。

 その本が手に入りました。うわあああい、これで僕も電脳世界に行けるんだねネオ。
で、感じた事はやはり難しい。内容がではなく、流れというものが。というのも、日ごろから日本の作家の本しか読んでいないので、訳された日本語の流れに慣れない事慣れない事ww だからいつもより読むペースが遅い。

昔、僕はよくジュール・ベルヌの作品を好んで読んでいた。たしか青空文庫で。十五少年漂流記や海底二万里を読んだ、という記憶がある。しかし、だ。内容が抜けている! 完全に絵でしか内容を思い出せない! これで読んだと言えるのか? と過去の自分(10歳くらい)を問い詰めてやりたいのですが。それと同時に褒めてやりたいとも思う。

 よく最初に外国人作家(しかも古い有名作家)を選んだなおい! 今の僕でさえ訳された文は苦手だってのによく二冊も読んだなおい!


しかし、こう過去を振り返ってみると、どうも僕はSF分野が好きだったりするらしい。友達からは「お前は剣と魔法の好きなやつ」とか言われていたが(その時に話していた事は聖剣伝説シリーズ)、こうしてみるとなぁ。ああ、またJ・ベルヌの作品が読みたくなってきたところで今日は終わりましょう!

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06 28 ,2011  Edit


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ブラック・ホーク・ダウン

少しネタバレあるのでご注意を。


昨日初めて見た。いやね、2001年に造られた作品だとは思えなかった。なんていうか、今の時代の技術を感じさせない映画だなぁ、と。というのも、この作品にはCGがとても少ないわけだ。最初のブラックバーン軍曹(だったっけ?)がヘリから落ち、それを助けようとエヴァーズマンが降りた時のダウンウォッシュの砂煙に包まれるシーンくらいしかはっきりと分からなかった。あとで調べてみれば、意外にたくさん使っていてびっくりしたが(ブラックホークのどこかでは使ってるだろうなとは思ったけど)。
 
1993年、ソマリア。アイディード将軍派とモハメド派による内戦は激化し、国連による、アメリカを中心にした多国籍軍がPKO(国連平和維持活動)のため派遣される。一向に状況の良くならないさなか、米軍はデルタフォースを中心とするアイディード派幹部拘束を目的とした作戦を展開する。その作戦時間予定はわずか30分のはずだったが、その作戦は市街戦へと悪化し、地獄の長時間の戦闘へと変わりはてる事となる。

監督はリドリー・スコット。『ブレード・ランナー』、『エイリアン』、『グラディエーター』とかの監督な訳で。

なんていうか、見終わった後は虚無感しかなかった。戦闘の終わり方が、本当に虚しさでいっぱいだった。仲間を失い、それでも生きて、帰ったという喜びはあるものの、何かが抜けてしまった、欠けてしまった感が否めない。それは、仲間の死というものだけではない。何をしにいったか、という使命感だ。
 主人公は理想主義者だと笑われた。そんな彼は部隊長を任命される。戦っていく中、次々と仲間が倒れていくし、絶望的な状況へと追いやられていく。建物へと閉じこもった中で、仲間の死を見る。身体的にも精神的にも疲弊した彼は、何食わぬ顔で地を見渡す冷やかな月の光を浴びながら彼はたたずむ。そんな中、デルタフォースの一人の男に戦闘に出ると言う。それを止めようとするが、男は穏やかな口調で彼をなだめつつ、自分のいく理由を語る。それは、まさに仲間を思うが故の理由。それは、人としての理想の在り方だった。
彼は理想主義だと言われた。が、それ以上の理想主義がいた。それは、この戦いに意味を見出そうとするやら、ここの民族の事をおもうやらの事柄ではない。この戦いで、失われていく友を、仲間を、守るために戦うという事。それは、この場所では最高の理想ではないか。
過酷な戦場から辛くも逃げ出す事が出来た彼ら。しかし、男は再び戦場に戻るという。仲間を助けるために。

という、熱い場面があるわけですが。戦場に英雄なんていないと言われるけれど、兵士=英雄と相場は決まっている! まぁ、なんというかね。助けるために全力を注ぐ。良い事だとは思う。けど、それが結果的にあらゆる犠牲を払う、ということにもつながりかねないという事は理解しておく必要がある。つまり、犠牲を助けようとするなら、新たな犠牲が出るという事を覚悟しなければならないという事。連鎖的に犠牲が広がるという事を覚悟しておかなければならない。もちろん、それが悪いという事ではない。が、大きな戦場において、助け出すという事がどれほど危険な事なのか、ということを理解するのが重要であり、そのうえで行動し、助け出すアメリカ兵は素晴らしいと思う。

一番、心に残ったシーンは仲間が死ぬ場面でもなく、主人公が戦死した仲間に語りかけるシーンでも、絶望的な状況の中、航空支援が行われるシーンでも、なかった。

司令官である男(名前忘れちゃった……)が、治療されている兵士の地をふき取るシーンだった。きっと、見た目的にはねぎらいの意味も込めているのだろう。飛び散った血を、拭き取ろうとして布(?)を手に取り、お偉いさんが床に這って拭いている。だが、その血はあまりぬぐえず、むしろ広がるばかり。
 まさに、戦争というもの、彼の心を表している。どれだけ血をぬぐおうとしても、戦争というものは一向に収束させることなんて出来ず、それはむしろ広がりを見せる。この戦闘でも、状況を良くしようとしても一向に悪化し、負傷、犠牲は広がっていくばかり。そんな苦しみ(血)を拭おうとしても、広がるばかり。
やがて広がった血は空気に触れて乾燥してカサブタになるだろう。きっと、そのカサブタをはがす事の意味が、この映画だったのかもしれない。

と、僕はこの映画を見て思った。いやはや、飯食ってるときに見るもんじゃないなと痛感したのは秘密。

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06 27 ,2011  Edit


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マママットリックス

ひっさしぶりにマトリックスみたよ。金曜ロードショーで一作目が放送されてましたね。主演のキアヌ・リーブスが若々しく見えたw

でも僕は実は全部は見たことなくて、だから今日は楽しみだったのですが用事で途中からしか見れなくてうわああああんでしたとさ。

で。面白かったという記憶はあった。それは、凄く興奮した、という記憶だ。が、年齢を重ね、色々と見方が変わったのか、今日の面白い、は単純に笑える、のオモシロイだった。だって、あれだぜ?エージェントの弾のよけ方、残像があるんだぜ? 北斗百烈拳も繰り出せるんだぜ? 笑うしかなかった。いやあ、そして笑ったというか、エージェントがどこまでも追いかけるのにはほんと笑うしかないよね。どこ行っても彼出てくるんだもの。そしてこの顔である。

ああ、なんかいいなぁ、と思った場面は、仲間のチョビヒゲハゲがエージェントと取引しているシーン。エージェントの目はサングラスをしていて見えないものの、チョビヒゲハゲの目がそのサングラスに映っていて、あたかもエージェントの目見たいに表現されているところ。こういうのが映像のちょっとした面白いところだよねー。

さて。現実だと思っていた世界が実は偽物でしたって言われても信じられるわけがなくてですね、僕がそんな事を言われたらもちろん信じません。可愛い女の子なら信じます。信じようと努力します。んな訳がなくてですね、そんなこといきなり言われて、そして本当の現実の世界の自分の体を見つけ出して、現実世界に帰ってあんなけったくそ最悪な状況な世界ならすぐに仮想世界に帰ります。っていうか、それを頑張って受け入れようとするネオ、かっこいい。
この世界は実は本物の世界ではない、というのはSF系統ではよくある話だとは思います。電脳世界があるという話を最初に持ち出したのは、たしかウィリアム・ギブスンのニューロマンサーだった気がする(どっかで仕入れた知識なんで正確性はない)。まぁ、そういう電脳系で有名なのは押井守監督の攻殻機動隊かな。ともかく、もうひとつの世界、という科学技術の最高峯の世界がスクリーンには広がっていて、興奮を覚えたものです。
しかし、いざ自分もその世界へと飛びこめる、となったらやはり戸惑いが浮かんでくるもので、とにかく言いたいのは

後頭部にジャックなんて付けたかねぇよ!!という事です。見てて寒気がするのは俺だけか?

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06 25 ,2011  Edit


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ほんっとに本

 昨今では、電子書籍というのが流通を始めているわけだが、いかんせん、これになれないのが私、まどるD。どれだけ本に似せようとも、やはり所詮は『電子書籍』なのであり、本好きな自分には馴染めないものだなと最近感じ始めた。
 とはいえ、電子書籍そのものを否定するわけではなく、自分が単に慣れないだけであり、決して否定するのではない事を理解していただきたい。

 パソコン、携帯が普及するに連れ、ネットワークというものが追随するようにして発展し、私達の生活はより快適になった。情報の習得が容易になり、またそれを開示していく事もまた容易になり、私達は情報の中を泳いで生きているといっても過言ではないほどになった。しかしながら、その発展によって私達の、情報を捉える正確性も必要となってきた、という話はさておき。

1990年代からインターネット上での小説の掲載が行われるよう(正直いまいち確定要素はないが)になり、岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』や、2ちゃんねるでの匿名掲示板での『電車男』、『恋空』など、ネットが普及し、誰でもオリジナルの作品を生み出すことのできる環境が整えられ、それは瞬く間に拡散していき、映画化、ドラマ化など、大きなマスメディアへと舞台はさらなる段階へも踏み出すことが出来るようになった。

 さらには、近年には電子書籍なるものが現れ始め、IPadという、タッチでコントロール出来るという技術を盛り込んだ機器で本を読む、という。
 なるほど、さてどんなものかと見てみれば、画面に紙っぽいものが映し出され、そこに綺麗な字体の文字が描かれているではないか。そして、ページをめくる時の動作が、まさしく本をめくる動作と全く同じ! タッチして横にピンとはじくだけ。これだけである。なんとかっこいい。とはいえ、SF映画等で同じようなシーンをたくさん見てきたような気がするがそれはさておき。
 その画面の中には確かに本があった。著者も、中身も完全に同じの。確か、原作が本でも電子書籍にしてくれる企業があったような気がする。それほどまでに、電子書籍というのは人の生活に溶け込み始めたということだ。手軽に読める、重さはその本がどれだけの量なのかも関係なく、もとの機器の重さのまま、人々の手元へと作品が伝わっていく。

 許せなかった、というのが本音である。電子書籍という存在は大いに認める。その利便性からも、電子書籍の方が、作品はたくさんの人の目に触れられやすい、というのも分かっている。
が、僕には駄目でした。認められませんでした。きっとマンガなら喜べただろうに……小説は駄目でした。
一体何が、と問われれば、やはり『本ではないから』と答えざるを得ない。というか、僕的にはこうしか言えない。言葉が見つからない。
僕的に、本とは質量ありき、匂いありき、音ありき、という3種の神器を持ち合わせていなければならないのである。
手に持った時の、あの重み。本独特の重みである。その本が厚ければ厚いほど、読み始めは左手に負荷が、中盤には均衡が取れ、読み終わりには右手に負荷が、という感覚が必要なのである。とはいえ、軽ければ良くないのかといわれればもちろんそうではないので、あくまで『質量の感覚』として理解していただきたい。

 次に、匂い。ページをめくる時の、紙の匂い。古くとも、新しくとも、その本には匂いがあり、本を読んでいる、という感覚にしてくれる。それは、たとえば、料理を目の前にしているのと同じで、食欲は掻き立てられはしないが、その代わりに読みたい衝動に駆られるのである(ここまでいくと変態だな)。たとえ何の目的もなく本屋に入り、その本に興味がなくとも、チラリと見たくなるのはそのせいじゃないか、とも最近思たり思わなかったり。……次。


 音。これはすごく重要だと思う。三つの中で、とくに共感を持ってもらえるものだと思う(そうでない方はそこに正座)。
 たとえば、夜、物音一つしない部屋でランプ一つを頼りに本を読んでいるとする。時間の感覚が薄れるほど、静寂に身を浸した後の、ページをめくる音。それはさながら、爆発音だ。動く事のなかった流れが、その音で今も流れているんだという事を認識にさせる。
 まぁ、これは『本』に関しての音の説明ではないが、音の魅力は(もちろん皆知っているに違いないが)分かってくれたと思う。
 たとえば、夏の日差しが強い時期。某海の幸の名前がたくさん出てくる作品で、父と義理の息子が囲碁やら将棋やらを打っている廊下をイメージしてほしい。その憎らしいほどの生命力を浴びせる太陽に照る木の廊下の上に、宿題をやっている途中なのか、鉛筆の乗った一冊のノート。風が吹き、風鈴が冷涼な音を奏でるとともに、ハミングとして爽やかな『パラパラ』、というページのめくれる音が(ここで手を振って踊るパラパラの方を思い出した君、けしからん!)響く。
 いいよね!イイネ! すごく良いよね!(変態故にご勘弁)
 といった具合に、本というものには、肌で感じ取れる要素がいくつもあるのだ。それが、僕が電子書籍を許せない理由なのである。

『本』はこれまでも人々に欠かせない存在であった。それがどんな形であれ、人々に情報を与え、夢を与え、個人の想像の世界を与えてきた。人間が生まれ、情報を伝えるために文字が生まれ、それを媒体にするものが生まれた。それは最初、地面であった。そして、それは木の板へと変わり、木からつくられる紙へと変わり、ついには電子機器へと本の時代は新たな世界へと突入したのである。
 地球に描き、木の板に描き、紙に描き、画面に描く。スケールはどんどんと小さくなっていくが、そこに描かれていくのは常に大きく、壮大な物語である。
 たとえ、紙という媒体でなくとも本というものは名残として電子書籍としてこれからも残っていくだろうし、残っていってほしい。誰かが、情報の重み、匂い、音を忘れたときにはいつでも本があってほしい。
紙としての一つの物語を越えようとしているという事実は、人の技術の進歩の象徴であり、また人の歩んできた物語を見返すチャンスでもある。
 主流が完全に電子書籍へと移り変わる時、『本』という重みを、匂いを、音を、僕たちは常に忘れてはいけない。それは、人が積み重ねてきた歴史を放棄する事と同じだからだ。


                                本よ! 永遠に!

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06 18 ,2011  Edit


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伊藤計劃記録

という本を読んでいる。この著者と出会ったのは、半年ほど前の事だった。いつものように何か面白そうな本ないかなーと本屋をぶらぶらしていた時の事、一冊の本が目に飛び込んできた。それは、『メタルギア・ソリッド4』のノベライズであった。

著者、伊藤計劃とあり、へんな名前だと思いつつも、小島監督のシナリオを紙媒体で読める事に興奮して購入、読みふける。驚くほどにすんなりと読めた。そして、『メタルギア・ソリッド』に込められた意味も、理解できたと思う。そして、その理解できたことの要因に、伊藤計劃の書き方が大きなものだと思ったのは、それからしばらくしての事だった。

伊藤計劃という、インパクトのある名前は俺の中で異彩を放っていた。いうなれば、凝った空気がたゆたうような、視界に靄がかかるような。そんな、常に思い出される存在を俺は手に触れたい衝動に駆られて本屋へと足早にかよったものだった。

見つけたのは、『虐殺器官』という近未来SF本だった。また、俺の中でインパクトが起きた。虐殺器官、というフレーズが、おぞましいほどに、傲慢なほどに、土足で人の中に入ってくる感覚を俺は覚えた。黒いバックに、白くかたどられた文字が、ありありと虐殺という意味を俺に叩きつけてくるかのようだったからだ。そのインパクトに体を吹き飛ばされたかのように俺はいつの間にかレジの前に立っており、既に清算し終えて本を手に取っていた。店員の表情は苦笑いに染まっていて、俺が不気味に微笑んでいたということに気付いたのは、近くのトイレで鏡を見た時だった。

『虐殺器官』と題しているのだから、それほどまでに恐ろしい怪物か何かが出てくるのだろう、と腹をくくっていたのだが、俺の予想は大きく外れることとなる。その内容は、一人の男がある男を探しだすというものだった。物語の語り口調は主人公の一人称で、非常に淡々と描かれていた。それは、『メタルギア・ソリッド』の方でも同じようなものだった。しかし、その語りの中には淡々としすぎていて、感情の欠如、というのが感じられた。死というものが、あまりにも身近に感じられた。痛すぎるほどに、彼は死というものに鈍感でありながらも、一番死に苦悩していた。
 詳細は読んでくれると嬉しい。この本は、近未来というには余りにも近すぎる未来の出来事で、生々しく語られている。これが、伊藤計劃の書く小説なのかと、インパクトを与えられること間違いないだろう。

次に読んだのは、『ハーモニー』という本だった。もちろん、伊藤計劃の作品である。セカンドインパクト本当にありがとうございます。心に大きなクレータができました。綺麗な湖を作れそうです。
『ハーモニー』は、『虐殺器官』の続編となる長編である。その内容はというと、百合の雰囲気を醸し出しつつも、実はえげつない、伊東計劃節ぶいぶいの作品だと思う。主人公、女性で、しかも軍の人なのだから興奮しないわけがなかった。あ、決して変な方向の話ではないのでご安心を。

とまぁ、色々と著者を置きかけていくうちに、とんでもない事実を知ることとなってしまった。
伊藤計劃さん、亡くなられていたのである。それを知った時、本気で泣きそうになった事を今でも覚えている。こんなにも素晴らしい作家が、若くして亡くなってしまうなんて。
しかし、彼の残した軌跡はあまりにも輝かしく、凄惨であった。それに魅入られた人間が何人もいた。俺も同じく、彼の造り出した足跡に、彼の描き出した世界に魅入られた人間だった。
そして、刊行された『伊藤計劃記録』。内容は・・・全部読んでないので、詳しくは言えないが、その中には彼の生きた証がたくさん詰まっている。そこには、きっと短くも永い物語が眠っているのだろう。そう思うと、この本の厚みが、手触りが、匂いが、めくる時の音が、命をもった何かに思えてくる。
俺はこの本をきっと、宝物にするだろう。そうだ、この本には同じ何かを書く者にとって、また、現代に生きる者にとって、身近で、遠すぎる世界の詰め込まれた指標(SF)なのだ。





とまぁ、若干ストーリー的な雰囲気をかもしだつつ紹介させていただきました。力不足の俺では魅力は伝わらなかったかもしれませんが、読んでいただければ幸いです。

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06 14 ,2011  Edit


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待たせたな!

一体いつから更新していないのかとチラ見してみれば、もう二カ月以上も更新していなかったとは驚きである。(遠い目)

ああ、広告まで出てきてしまって・・・。そして

何も書いてません テヘペロッ^^

リアルが忙しい、という言い訳を説明させてもよろしいでしょうか! 隊長!!

いや、まぁそんな事はどうでもよくて。

リアルが忙しいのと、書く気が起らない。書く気が起らないというのは、自分の力の無さにである。こんな事を言うと、「当たり前やろ。気取るな」という言葉が飛んできそうだが、実際、過去の文章を読んでなんというか、違う、という感情が沸き起こる。矛盾というのが一番ショックが大きく、結構頑張ったストーリーであるのに、矛盾が起こるという事は自分の筋の立て方が甘い、という事を目の前で叩きつけられたような気がして泣けてくる。

という事で、今回はじっくりと行こうかと思う。それでもやっぱりどこかしら失敗は現れるだろうけど、少なくとも、一目でわかるような矛盾やら失敗やらは起こしたくないという気持ちではいる。

とまぁ、そんな感じで考えつつも、小説は何も書いちゃいない。抽象的なストーリーは思いついているが、それを書くためにはもっと色々勉強したいとも思っているし。

今は、リアルでの勉強をしつつ、本を読んで知識を蓄えているって感じかなー。

次の日記で、今読んでいる本の紹介でもしようかな。気力があれば。

これだけの文章を書くのに一日の半分のカロリーを消費したと思える今日この頃。

じゃあの。

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06 09 ,2011  Edit


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