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COLDSLEEP

まどるdが趣味でかいた小説をだらしなく垂れ流す場所


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Category: 駄文   Tags: ---

ほんっとに本

 昨今では、電子書籍というのが流通を始めているわけだが、いかんせん、これになれないのが私、まどるD。どれだけ本に似せようとも、やはり所詮は『電子書籍』なのであり、本好きな自分には馴染めないものだなと最近感じ始めた。
 とはいえ、電子書籍そのものを否定するわけではなく、自分が単に慣れないだけであり、決して否定するのではない事を理解していただきたい。

 パソコン、携帯が普及するに連れ、ネットワークというものが追随するようにして発展し、私達の生活はより快適になった。情報の習得が容易になり、またそれを開示していく事もまた容易になり、私達は情報の中を泳いで生きているといっても過言ではないほどになった。しかしながら、その発展によって私達の、情報を捉える正確性も必要となってきた、という話はさておき。

1990年代からインターネット上での小説の掲載が行われるよう(正直いまいち確定要素はないが)になり、岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』や、2ちゃんねるでの匿名掲示板での『電車男』、『恋空』など、ネットが普及し、誰でもオリジナルの作品を生み出すことのできる環境が整えられ、それは瞬く間に拡散していき、映画化、ドラマ化など、大きなマスメディアへと舞台はさらなる段階へも踏み出すことが出来るようになった。

 さらには、近年には電子書籍なるものが現れ始め、IPadという、タッチでコントロール出来るという技術を盛り込んだ機器で本を読む、という。
 なるほど、さてどんなものかと見てみれば、画面に紙っぽいものが映し出され、そこに綺麗な字体の文字が描かれているではないか。そして、ページをめくる時の動作が、まさしく本をめくる動作と全く同じ! タッチして横にピンとはじくだけ。これだけである。なんとかっこいい。とはいえ、SF映画等で同じようなシーンをたくさん見てきたような気がするがそれはさておき。
 その画面の中には確かに本があった。著者も、中身も完全に同じの。確か、原作が本でも電子書籍にしてくれる企業があったような気がする。それほどまでに、電子書籍というのは人の生活に溶け込み始めたということだ。手軽に読める、重さはその本がどれだけの量なのかも関係なく、もとの機器の重さのまま、人々の手元へと作品が伝わっていく。

 許せなかった、というのが本音である。電子書籍という存在は大いに認める。その利便性からも、電子書籍の方が、作品はたくさんの人の目に触れられやすい、というのも分かっている。
が、僕には駄目でした。認められませんでした。きっとマンガなら喜べただろうに……小説は駄目でした。
一体何が、と問われれば、やはり『本ではないから』と答えざるを得ない。というか、僕的にはこうしか言えない。言葉が見つからない。
僕的に、本とは質量ありき、匂いありき、音ありき、という3種の神器を持ち合わせていなければならないのである。
手に持った時の、あの重み。本独特の重みである。その本が厚ければ厚いほど、読み始めは左手に負荷が、中盤には均衡が取れ、読み終わりには右手に負荷が、という感覚が必要なのである。とはいえ、軽ければ良くないのかといわれればもちろんそうではないので、あくまで『質量の感覚』として理解していただきたい。

 次に、匂い。ページをめくる時の、紙の匂い。古くとも、新しくとも、その本には匂いがあり、本を読んでいる、という感覚にしてくれる。それは、たとえば、料理を目の前にしているのと同じで、食欲は掻き立てられはしないが、その代わりに読みたい衝動に駆られるのである(ここまでいくと変態だな)。たとえ何の目的もなく本屋に入り、その本に興味がなくとも、チラリと見たくなるのはそのせいじゃないか、とも最近思たり思わなかったり。……次。


 音。これはすごく重要だと思う。三つの中で、とくに共感を持ってもらえるものだと思う(そうでない方はそこに正座)。
 たとえば、夜、物音一つしない部屋でランプ一つを頼りに本を読んでいるとする。時間の感覚が薄れるほど、静寂に身を浸した後の、ページをめくる音。それはさながら、爆発音だ。動く事のなかった流れが、その音で今も流れているんだという事を認識にさせる。
 まぁ、これは『本』に関しての音の説明ではないが、音の魅力は(もちろん皆知っているに違いないが)分かってくれたと思う。
 たとえば、夏の日差しが強い時期。某海の幸の名前がたくさん出てくる作品で、父と義理の息子が囲碁やら将棋やらを打っている廊下をイメージしてほしい。その憎らしいほどの生命力を浴びせる太陽に照る木の廊下の上に、宿題をやっている途中なのか、鉛筆の乗った一冊のノート。風が吹き、風鈴が冷涼な音を奏でるとともに、ハミングとして爽やかな『パラパラ』、というページのめくれる音が(ここで手を振って踊るパラパラの方を思い出した君、けしからん!)響く。
 いいよね!イイネ! すごく良いよね!(変態故にご勘弁)
 といった具合に、本というものには、肌で感じ取れる要素がいくつもあるのだ。それが、僕が電子書籍を許せない理由なのである。

『本』はこれまでも人々に欠かせない存在であった。それがどんな形であれ、人々に情報を与え、夢を与え、個人の想像の世界を与えてきた。人間が生まれ、情報を伝えるために文字が生まれ、それを媒体にするものが生まれた。それは最初、地面であった。そして、それは木の板へと変わり、木からつくられる紙へと変わり、ついには電子機器へと本の時代は新たな世界へと突入したのである。
 地球に描き、木の板に描き、紙に描き、画面に描く。スケールはどんどんと小さくなっていくが、そこに描かれていくのは常に大きく、壮大な物語である。
 たとえ、紙という媒体でなくとも本というものは名残として電子書籍としてこれからも残っていくだろうし、残っていってほしい。誰かが、情報の重み、匂い、音を忘れたときにはいつでも本があってほしい。
紙としての一つの物語を越えようとしているという事実は、人の技術の進歩の象徴であり、また人の歩んできた物語を見返すチャンスでもある。
 主流が完全に電子書籍へと移り変わる時、『本』という重みを、匂いを、音を、僕たちは常に忘れてはいけない。それは、人が積み重ねてきた歴史を放棄する事と同じだからだ。


                                本よ! 永遠に!
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Comment: 2   Trackback: 0

06 18 ,2011  Edit


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Comments

わかります、賛成です!やっぱり本は本棚に並べて、好きなときに読み返したいです。
コミックスとかは電子書籍もいいかなと思いますが(巻数が多くなってくると大変なので)それでもお気に入りは本の形で手元におきたいです。まだまだそういう人は多いと思います。
Re: タイトルなし
コメントありがとうございます!

コレクションが好きな人だったりすると、やはり電子書籍には抵抗ありますよね。^^; 『本』という形があまりにも僕らの生活の中に浸透しているので、形の無い『本』というのは、革新的でかっこよくても、それはそれとして、という感じになってしまいやすいと思います。
 でも辞書とかは便利ですよねw あんな重いものを持ち歩くなんてめんどくさいだけだし、その辺は任せたい限りですw

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